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平永盛 (平安時代)[たいら の ながもり] 平 永盛(たいら の ながもり、生没年不詳)は、平安時代中期の軍事貴族。『平群系図』『安西氏系図』によれば、常陸介平群清幹の孫にして、秋田城介平群利方の子で、母は平貞盛の女であるが、外叔父平維叙の猶子となり、平姓に改めたという。名は永成とも。従五位下・鎮守府将軍に叙任され、平群将軍と号す。 長保3年(1001年)7月東三条院案主として初見〔『権記』長保3年7月27日条〕。寛仁元年(1017年)敦良親王の立太子に際して春宮坊の陣頭を命じられるが、時に従五位下・中務権少輔であった〔『立坊部類記』〕。同2年(1018年)1月23日、鎮守府将軍に任じられる〔東京大学史料編纂所蔵『安西氏系図』〕。翌3年(1019年)6月陣定で審議すべき雑事を申請しているが〔『小右記』寛仁3年6月22日条、同月29日条〕、その内容は明らかでない。 系図によれば、平季信の女を娶って子の頼義を儲けたが、安房の安西氏はこの子孫であるという。また、和泉の日根野氏も永盛の子孫とされる〔鈴木真年編 『百家系図稿』巻2「日根野」(宝賀寿男編著 『古代氏族系譜集成 上巻』 古代氏族研究会、1986年)〕。 == 脚注 ==
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